前回のブログに引き続き三河地震の痕跡を見てみましょう。今回は被害の大きかった愛知県安城市の南部を巡ります。主に石碑を紹介します。
参考)https://www.gensai.nagoya-u.ac.jp/rekishijishin/common/pdf/2018/vol47.pdf
https://www.pref.aichi.jp/bousai/densho/common/pdf/l_w_mikawa.pdf
また,国土地理院で自然災害伝承碑をまとめた地図がありますので,今回紹介するもの以外にどんなものがあるか調べる参考にしていただければと思います。
参考)https://www.gsi.go.jp/bousaichiri/denshouhi.html
石碑を巡って思ったこと
最初に石碑を巡って感じたことをお話しします。
- 墓地にある慰霊碑は大事にされている
墓地にある慰霊碑はどこもきれいな生花が供えられ,地元の方に大事にされていました。この慰霊碑に関係のある方は三河地震のことを忘れずにうまく伝承されていると感じました - 石碑は自分で発信しない
石碑は風雨に耐え,長く後世にいろいろなことを伝えてくれます。しかし,石碑はそこに静かにたたずむだけで,自ら発信/アピールはしません。いつしか忘れられてしまう可能性もあります。石碑に刻まれた思いをこの先も忘れられないようにする仕組みが大事であると感じました
震災記念碑(桜井公民館)
名鉄の桜井駅の東に桜井公民館があり,その玄関前に震災記念碑があります。


震災死歿者精霊碑(和泉町向共同墓地)
墓地の入口に「震災死歿者精霊碑」があります。碑の裏面に記載されている内容をできるだけ読み取ってみました。「〇」のところは判読できなかった文字です。文面から,戦争の影響があってかなり苦労されたことがうかがえます。


震災遭難者之碑(城ヶ入町稲葉共同墓地)
「震災死歿者精霊碑」から南の方にしばらくあるくと「震災遭難者之碑」があります。下の写真(2024年12月29日撮影)に示すように,石碑は石や植栽で囲まれ,きれいに整備されています。

石碑に刻まれた表面の文言と,裏面の様子を下の写真に示します。

震災殉難者之碑(城ヶ入町本郷共同墓地)
最後は「震災殉難者之碑」です。「震災遭難者之碑」から,さらに南下して歩いていくと到着します。墓地の一角にひっそりと石碑が建っています。背面側には震災死亡者名が記載されています。

まとめ
三河地震のときは横須賀断層に近い安城南部に大きな被害が出ました。そのため,今回紹介した石碑は安城南部に散在しています。直下型地震の特徴を表していると思われます。安城市の地震ハザードマップを見ると,予想震度は6強~7が予想されており,どこで大きな被害が起こっても不思議ではない状況です。三河地震の被害は南部が中心だったから北中部は安心ということはないので,どこに住んでいてもしっかりと備えていただければと思います。