第二次世界大戦の真っただ中にあった昭和20年1月13日,三河地方で大きな地震がありました。いわゆる「三河地震」です。2025年1月は,その地震からちょうど80年になります。当時は戦争の関係で地震に関する報道がほとんどされず,ほかの地方の方にあまり知られていないと思いますが,蒲郡・西尾・安城あたりでたくさんの方が亡くなりました。今回と次回は,そんな三河地震について考えます。
深溝断層
三河地震は「深溝断層・横須賀断層」が動いて発生した直下型地震です。深溝断層の一部は愛知県指定天然記念物になっており,最初の写真に示したように幸田町で見ることができます。そこに下の写真に示す石碑があり三河地震に関する概略が記載されています。詳しいことは文献にありますのでそれを参考にされるとよいと思います。
参考文献)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/afr1985/2006/26/2006_163/_pdf
https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1944_tounankai_jishin/pdf/8_chap4.pdf
https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1944_tounankai_jishin/pdf/9_chap5.pdf
深溝断層に関係する地形
深溝断層だというところを巡ってみると,いまでも断層が作ったであろう地形を見ることができます。幸田町付近に関しては,「深溝断層沿線の地震被害」としてまとめられた資料があるので参考になります。
参考)https://www.town.kota.lg.jp/uploaded/attachment/7109.pdf
まずはその資料に記載されている2か所について,私も行ってみました。ひとつめは「日高医院脇の段差」です。下の写真(2020年1月11日撮影)の中央付近には深溝小学校に登っていく道が写っており,地震でその道のところが隆起したため,道の右側に段差ができています。
ふたつめは「拾石川の崖」です。先ほどの「日高医院脇の段差」のところから南南東に少し行ったところにあります。下の写真がそれで,拾石川に段差があります。川に段差がある風景はよくあるので,知らないと見過ごしてしまいそうです。
ここからは,深溝断層に沿って歩きながらそれらしい地形を探索した結果を示します。最初の方で紹介した断層の文献を見ながら,「たぶん断層の影響だろうな」というところの紹介です。
下の2枚の写真は蒲郡市金平町で見つけたものです。ひとつめの写真では,家が建っているところと隣接する田んぼの間に連なった段差があります。ここは形原温泉の近くで,三ヶ根山の麓のなだらかな斜面になっているのですが,その斜面のところの深溝断層と思われる付近にこのような段差地形があります。
ふたつめは,ひとつめの写真から南へ500mほど行ったところです。道路のところに断層がありますが,その脇に段差があります。段差のところには建物がなく,人の手による地形の変更があまりされておらず,地震当時の地形を比較的残しているように見えます。
下の写真は蒲郡市形原町にある林光寺の入口を撮影したものです。入口のところに深溝断層が走っており,ちょうどその断層付近に階段の設けられた段差地形があります。車の通る道路だと,段差が埋められて段差が不明瞭になるのですが,ここは人が通るところで,地震でできた段差が比較的きれいに保持されたのかもしれません。
地割れ・遺構
三河地震でできた地割れなども見てみましょう。ネットでもいろいろ紹介されています。
参考)https://www.pref.aichi.jp/bousai/densho/e_mikawa/02/03-03.html
https://www.gensai.nagoya-u.ac.jp/rekishijishin/common/pdf/2017/vol33.pdf
https://www.gensai.nagoya-u.ac.jp/rekishijishin/common/pdf/2017/vol38.pdf
下の写真(2020年1月11日撮影)は宗徳寺の地割れです。形原温泉の近くにあり,道路に案内板があるので迷わずたどり着けると思います。地割れ保全のため歩道が整備されています。
つぎは形原町の天満神社です。境内には途中でポキンと折れた円柱が2本あります。これは三河地震で折れた鳥居の残りです。案内板はありませんので,知らなければただの石柱と思って通り過ぎてしまうと思います。
語り継ぐために
三河地震から80年経ち,地震を経験した方々も段々少なくなってきています。後世にこの惨状を伝えるため,形原神社には「わすれじの碑」があります。地震からこの碑ができるまで32年,この碑ができてから48年が経とうとしています。南海トラフ地震の発生確率が年々上がっていく中,私たちは三河地震の教訓を踏まえ,これからの震災に備えていけたらと思います。
おまけ
蒲郡市西浦町の大光院には「松島地蔵菩薩」 というお地蔵さんが鎮座しています。伝承によれば,このお地蔵さんはもともと西浦の松島にあったのですが,嘉永7(1854) 年の安政東海地震による大津波で流されてしまったそうです。その後、バラバラになっていた地蔵菩薩の胴体が発見され、いまのように大光院に移されました。
参考)https://www.gensai.nagoya-u.ac.jp/rekishijishin/common/pdf/2019/vol62.pdf
三河湾は半島で囲まれているので外海ほど高い津波は来ませんが,お地蔵さんが流されるほどの津波が来ることの教訓を教えてくれます。
まとめ
三河地震から80年の節目を迎え,深溝断層やいろいろな痕跡を巡りました。次回は,同じように被害の大きかった安城について巡る予定です。